『豊臣兄弟!』で描かれる「安土饗応」事件が本能寺の変の引き金か?史実では何が起きていた (3/8ページ)

Japaaan

「祝膳」のイメージ photo-ac

イベントの手配は得意で信長に絶賛された光秀なのに

『川角太閤記』を一部抜粋すると、

〜明智日向守所御宿に仰せつけられ候ところに、御馳走のあまりにや、肴など用意の次第御覧なさるべきために、御見舞候ところに、夏故、用意のなまざかな、殊の外、さかり申し候故、門へ御入りなされ候とひとしく、風につれ、悪しき匂ひ吹き来たり候。〜

意訳すると「光秀は接待の準備に力を入れて、料理や肴の容易を見回っていたところ、夏だったために生肴が痛んで、風に乗って強い匂いを放ってしまった。」という内容。

そして、「この悪臭は、屋敷(家康の宿泊先だった光秀の屋敷)の門まで漂い、信長はすぐに気がつき調理場に向い、これでは家康公をもてなせるわけがないと激怒。家康の宿は変更になった」そうです。

さらに、「面目を失った光秀は、食器や魚を載せた台、そのほか用意していた料理や酒肴を残らず堀へ投げ捨てさせたため、腐った魚の悪臭が安土の町中へ吹き散らされた」とのこと。かなり、リアルな描写ではありますが。

『川角太閤記』は、羽柴秀次(秀吉の甥)の家臣に仕えたとされる川角三郎右衛門が執筆したもので、同世代の伝聞をもとに書いたもの。

比較的、信憑性が高いとされるも、執筆目的は太閤秀吉の栄光の歴史を描き出すもので、この接待役解任話も、光秀謀反をよりドラマチックに描くための創作と考えられています。

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