『豊臣兄弟!』で描かれる「安土饗応」事件が本能寺の変の引き金か?史実では何が起きていた (5/8ページ)
」
というような内容が記されているのですが、これも「人々が語ったところによると」という伝聞になっています。確かなことは不明で足蹴にした理由も不明です。
もちろん、確かな一次史料の裏付けはなく、信長がこの時点で秀吉になにかしらの疑いを抱いたという確証もありません。
『信長公記』の「家康公穴山梅雪御上洛之事」では京都・堺にて珍物を調えおびただしき結構」と、「珍しい食べ物を数多く揃えていて、大変結構だった」とあります。
17日には、羽柴秀吉の援軍として、光秀・忠興・摂津衆を先陣として派遣する旨を命じ、直ちに暇をとらせたため、光秀、安土より坂本へ帰城し出陣の準備をします。
これは、家康饗応の不手際の罰としてという説と、特に不手際もなく信長が光秀に悪感情を抱くこともなかったためという説と、両方の見解に分かれているようです。
森乱に打ち据えられる明智光秀。『絵本太閤記』(上田市立上田図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/300013959
『信長が家康の武勲を讃えた「本膳料理」』「安土町文芸の郷振興事業団」による「安土天主信長の館」では『信長が家康の武勲を讃えた「本膳料理」』展示があります。