『豊臣兄弟!』で描かれる「安土饗応」事件が本能寺の変の引き金か?史実では何が起きていた (7/8ページ)

Japaaan

安土城天主信長の館 photo-ac.

「豊臣兄弟!」ではこれが本能寺につながっていく?

「鯛が腐っていて光秀の不手際に信長が激怒した」「信長が自分の鯛のほうが大きかったので家康のと取り替えたら、家康が毒が入っていると言いだし、信長が命を狙われているとわかり激怒した」「響宴の食事が贅沢過ぎたと怒られた」などいろいろな説がある『安土饗応』。

ただ、この響宴の不手際で信長が激怒して足蹴にされたことで光秀が本能寺の変を起こしたかどうかは不明です。

『左義長』でも『京都御馬揃え』でも、きめ細やかで思いもよらない趣向も施した見事な準備を行い、両方とも信長に絶賛された光秀。

初歩的なミスをするとは思えず、毒殺だとしてもまっさきに疑われるようなことをするとは考えづらいもの。全面に任せた挙句、贅沢に準備し過ぎて注意した……くらいのことだったのかも、とも感じました。けれど、精神的に追い詰められているときは、何が爆発のきっかけになるかはわからないものです。

ただ、いずれにしても全面的に丸投げされる企画には、光秀は毎回「胃の痛い思い」をしたのではないでしょうか。

「豊臣兄弟!」では、『可討取信長候也』(信長を討て)という足利義昭(尾上右近)の手紙は、信長の甥・織田信澄(緒形敦)が捏造したもので、信澄は「父の恨みを忘れていない」ということが判明しました。

振り回されて衝撃を受けていた光秀。「毒入りを疑われ光秀は足蹴にされる」ことは、精神状態にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

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