『豊臣兄弟!』で描かれる「安土饗応」事件が本能寺の変の引き金か?史実では何が起きていた (1/8ページ)
天正8年(1580/9年とも)、八角形の天守がそびえる織田信長の「安土城」が完成。
およそ3年〜5年ともいわれるほど時間をかけ築き上げた安土城に、徳川家康を招いた信長は、明智光秀に『饗応役(接待役)』を命じてご馳走でもてなすのですが……。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の公式予告では、「食事に毒が盛られていたことが発覚。饗応役の光秀が首謀者をかばっていると察した信長は逆上する。」とあり、光秀(要潤)が逆上した信長(小栗旬)に蹴り倒され、激しく問い詰められる動画が流れました。
これは実際に、天正10年(1582)5月、『本能寺の変』の約二週間前に起こった『安土饗応』(家康饗応)と呼ばれた事件です。
本能寺の変で光秀が謀反を起こした理由については、さまざまな説がありますが、いわゆる「もはやこれまで!堪忍袋の緒が切れた」という『積もり積もった怨恨説』では、これが最終的に謀反のトリガーとなったのでは?といわれている事件です。
家康の響宴があった・信長が光秀を響宴役に任命し外した…ということはあったようですが、理由について明確に記した史料はないそうです。
過去の大河でも登場したエピソード。どのような出来事だったのでしょうか。