『豊臣兄弟!』信長の草履がつないだ“兄弟の絆”…第28回「急げ!秀吉」で織田から豊臣へ託されたバトン (6/8ページ)

Japaaan

さすが、史実でも人々の「取次」や「調整」の手腕に長けていたという豊臣秀長らしい読みだったのだと思います。

実際、「殿、ご武運が開けましたな」の黒田官兵衛のセリフは、いくつかの文献で見かけられるそう。

「まだ若い黒田官兵衛が言った言葉は、実は秀吉もそう心中で思っていたので驚いた。のちに地震で『秀吉が死んだ』という噂が流れた時、秀吉は官兵衛に『わしが死んだと聞いて嬉しかったろう』と言った」という話もあるそうです。

秀吉のもとに信長の訃報が届いたのは、本能寺の変の翌日3日といわれています。

『武功夜話』には、信長の死を伝え聞いた秀吉は「実をもって悲嘆の至り」と、大変嘆き悲しんだことが記されているそう。

けれども、その一方で「その直後に毛利方とすぐに和睦、すみやかに自軍を撤退させること、殿(しんがり)は弟の小一郎が率いる」ことも記述されているとか。

また「中国大返し」は、逸話としては有名なものの多くの二次史料では日程に食い違いがあるそう。

「秀吉の書状」と伝わる一次資料でも「虚偽」が含まれているので、秀吉自身が「ホラを吹いている」部分があり、実際には「中国大返し」はそれほど画期的なことではなく、十分に実行可能であったという研究もあるようです。

「上様は生きている」と信じる秀吉。

「『豊臣兄弟!』信長の草履がつないだ“兄弟の絆”…第28回「急げ!秀吉」で織田から豊臣へ託されたバトン」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟!豊臣秀長戦国時代豊臣秀吉本能寺の変カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る