『豊臣兄弟!』10代で散った小一郎と慶の嫡男・与一郎(大西利空)。豊臣家の跡継ぎを襲った悲劇 (3/8ページ)

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高野山奥之院の参道にある『豊臣家墓所』の案内板。(撮影:高野えり2026.3)

高野山奥之院の参道にある『豊臣家墓所』。(撮影:高野えり2026.3)

「与一郎」の名が出てくるのは江戸時代の文献のみ

羽柴与一郎については、江戸時代に成立した文献『森家先代実録』『高山公実録』でその存在が伝えられる程度だそうです。

『森家先代実録』とは、赤穂藩主森家が編纂した森家の家史で、それによると与一郎は那古野因幡守の娘の岩を妻とし、岩は与一郎の死後、秀長の養女となり、文禄3年(1594年)に森忠政に嫁いだ……と記述されているそうです。

『高山公実録』(藤堂高虎の一代記)の「郡山城主記」には秀長の「御実子」が早世、天正10年(1582年)丹羽長秀の三男・千丸(後の藤堂高吉)を秀長の養子にした、そして、“早世した秀長の実子”が与一郎……と記述されているそうです。

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