朝ドラ『風、薫る』黒川医師と“運命の再会”…りんの実在モデル・大関和が再び看護婦に戻った理由 (3/10ページ)
ちょうど、和が第一医院を退職した頃、桜井女学校は新栄女学校と合併して明治23年(1890)『女子学院』となり、同系列の女学校が開設されたタイミングだったのです。
姉妹校には、宇都宮女学校・スミス女学校(現在の北星学園)・前橋女学校(現在の共愛学園)などもあったそうです。(「女子学院」公式HP)
和は、雅とマリア・トゥルーの好意を受けて、高田女学校の舎監を引き受けたのでした。当時、大関和は32歳でした。
高田女学校の設立者・大森隆碩はクリスチャンで地元の廃娼運動の主導的立場だったため、和は「廃娼演説会」に女子生徒と共に参加し、讃美歌を歌ったり慈善運動に貢献したりして過ごします。
それなりに充実した日々を送っていた和。けれども、「看護婦への想い」は心の中で消えることありませんでした。
大学病院を辞め、心機一転、新潟に旅立ったりん。(NHK「風、薫る」公式サイトより)
「看護婦に戻る」という思いが膨らんだ理由和の中にあった消えることない「看護婦への思い」が、大きく膨らんだのには理由がありました。
原案の伝記小説によると……
理由のひとつは、和が第一医院で「看護取締」を押し付けられたとき、先輩として体験談を聞くために会った慈恵病院の看護取締・松浦里子が亡くなった記事を読んだことがきっかけでした。