朝ドラ『風、薫る』さよなら吉江先生…実際はりんのモデルを看護婦の道へ導いた実在モデル・植村正久とは (5/10ページ)
そこで正久は、自宅で塾を開きブラウン塾で学んだことを教えるように。私塾は評判も上々で生徒はたくさん集まったものの、塾に通学し続けるほどのお金は貯まりませんでした。
そんなある日、有名なアメリカ人宣教師の伝記を入手し、一晩で読み切ってしまうほどに感動した正久は、「牧師となり一生を伝道捧げる決意」をします。
その思いを手紙に書いてブラウンに伝えたところ、同氏は非常に感動し「学費は要らない」といってくれたそうです。(『植村正久と其の時代』より)
明治10年(1877)、正久は東京一致神学校の一期生となり、明治12年には日本基督一致教会の牧師となります。さらに、明治20年、一番町教会堂(のちの富士見町教会)を設立しました。大関和は、この設立したばかりの一番町教会堂で洗礼を受けています。
和は「キリスト教の一夫一婦の精神」を教えられて感動し、キリスト教こそが女性たちを救う宗教であると信じたそうです。
前夫の複数の妾や「妾は男の甲斐だ!と持ち上げる姑にうんざりしていたので、なおさらでしょう。
和は、気分が塞ぐと正久の教会に出かけては延々愚痴を聞いてもらったそう。正久は和の気が収まるまでずっと話を聞いてくれたそうです。
一見しかめっつらでとっつきにくそうに見える植村正久だが……wiki
植村正久が大関和に「看護婦になる」ことを勧めたそんなある日、正久から「看護婦にならないか?」と言われた和。