朝ドラ『風、薫る』さよなら吉江先生…実際はりんのモデルを看護婦の道へ導いた実在モデル・植村正久とは (6/10ページ)

Japaaan

正久の教会経営に協力してくれている宣教師のマリア・T・トゥルーが、自身の経営する桜井女学校に付属の看護学校を作るので、一期生として入学しないか」とのことでした。

看護婦とはなにか?を知らない和は乗り気ではありませんでした。

この時代、看護婦は「賎業」と呼ばれ差別を受けていたので、抵抗もあり、そんな正直な気持ちを和は正久に打ち明けたそうです。

正久はフローレンス・ナイチンゲールの偉業を例に挙げて、看護婦は卑しいなどと言われるような仕事ではないこと。

そして「怪我や病気で苦しむ患者を救う看護の道は、キリスト教の博愛精神にかなう」と、説得したそうです。(『婦人新報』和の回想より)

和は、自分が家老の娘であることにこだわっていたことが急につまらないものに感じたそうです。

その後、マリアたちと横浜の貧民窟で行われている貧民救済活動に行き、「ここで必要なのは、十分な栄養と清潔な環境と女性の雇用です。それらをすべて満たせるのが看護婦という職業です」と聞かされて、看護婦になることを決めます。

和は早速その決意を報告したいと、植村正久宅を急いで訪れたのは深夜の1時過ぎだったそう。

ドラマの中でりんのことを直美が「こうと思ったらすぐに突っ走る」と笑いながら評してましたが、まさにその通りの性格ですね。

伝道以外にも政治・社会・教育・文学面も

大関和が、桜井女学校付属看護婦養成所に入学したのは明治20年(1887)。

その頃、正久はロンドンに洋行したり東北学院神学部教授に専任されたり、各地で講演を行ったりと熱心な伝道活動をし続けます。

さらに明治37年(1904)には、外国人の宣教師に頼らない東京神学社神学専門学校を設立。明治39年には一番町教会の会堂を富士見町に建築し富士見町教会とします。

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