朝ドラ『風、薫る』さよなら吉江先生…実際はりんのモデルを看護婦の道へ導いた実在モデル・植村正久とは (7/10ページ)
また、自身の発行物ではキリスト教のことだけではなく、政治・社会・教育・文学などについても積極的に触れました。
大正11年には、米英の関係諸教会へ特使として派遣され米国、カナダ、スコットランドを訪問し、帰国後は日本全国を巡って伝道活動をします。
ところが、大正12年(1923)の関東大震災で、富士見町教会や東京神学社は焼失してしまいました。
その頃、キリスト教主義の大関看護婦会を設立していた和は、看護婦会が全焼するものの看護に奔走していました。
その後も正久は、東京神学社の校舎を再建し、上田や松本、九州などの諸教会を伝道で巡るなどの活動をしていました。
けれども、大正14年、脳溢血のために66歳で急死。正久の訃報は翌日の新聞でも広く報道されたそうです。
感受性が豊かで人間味あふれる人
『植村正久と其の時代』に記された、正久の人となりを語るエピソードは大変興味深いものがあります。
正久の風貌について大隈重信は、「少しも耶蘇顔ではない。耶蘇の人といえば痩せた、星長い、寂しそうな顔をしているものだが、上無駄はまるで相撲取りのように太ってゴツゴツしている」と述べています。
けれども、子供好きで、子供が話かけると途端に優しい表情になったとか。また、感受性が豊かな人で、信仰のエピソードなどで感動するとよく涙を流す人でもあったそうです。