朝ドラ「風、薫る」赤痢の村で刃物を向けられても…りんのモデル・大関和が命を救った防疫の実話 (3/8ページ)

Japaaan

「いやだ いやだよ じゅんさはいや嫌だ じゅんさ コレラの先走り チョイトチョイト」

明治15年頃には、巡査をからかうような「チョイトチョイト節」が人々の間で流行るほどでした。

この流行り歌には当時の人々が、何よりも「避病院への強制隔離」を嫌がっていたのかが、表現されています。

というのも、実際に「病院」とは名ばかりで「避病院」は、仮設の質素な小屋だったからです。

常在医師はおらず派出看護婦の数も足らず、ここに運ばれた患者のほとんどは、十分な医療や看護を受けることなく死亡したそうです。
(書評「長与専斉と内務省の衛生行政」大森弘喜)

そのため、感染者は「避病院」には行きたくないと抗ったのでした。

デマを妄信し感染症専門医師を殺した事件

ドラマの原案伝記小説では、村に出向く道すがら、緊張や不安からか看病婦たちが「過去の事件」を語り合います。

それは、「千葉の鴨川の医師殺人事件」のことでした。

コレラが大流行した明治10年(1877)。千葉県では300人を大幅に超える死亡者が発生。鴨川でコレラ患者が発生したため、医師・沼野玄昌は現地に出向き、死者の火葬や井戸の消毒などの防疫活動に励みました。

ところが住人たちの間では「あの医者は、井戸に毒を入れた」「患者の生肝を抜いて殺す」など、まったく根拠のないデマが拡大。

それを妄信した住人たちは、鎌や槍などで玄昌を襲って殺したのでした。

沼野玄昌は西洋医学を学び、伝染病対策に熱心に取り組んでいた医師だったそう。

住人たちは「“命を救う手”を持った医者」を自らの手で失ってしまったのでした。

大関和たちも、さぞ不安だったと思います。

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