朝ドラ「風、薫る」赤痢の村で刃物を向けられても…りんのモデル・大関和が命を救った防疫の実話 (6/8ページ)

Japaaan

(下の赤線部分参照)

『派出看護婦心得』大関和 著 国立国会図書館デジタルコレクション

「看護婦」の重要さを目の当たりにした女学生たち

「風、薫る」のドラマの中でもそれを思わせるシーンがありました。

りんが「感染の村に防疫のために出向きたい」と、勤め先の女学校の望月勘治校長(関智一)に頭を下げてお願いする場面です。

心配する校長先生に「その村からさらに感染が広まれば元も子もありません。お願いします。」と。

その考えに頷けるものを感じたのか、校長はりんに休暇を与えたのでした。

村に出向くりんに、いつも利用している飴屋『ささがわ屋』の飴やお菓子を差し出す生徒たち。

最初、りんに出会ったとき、生徒たちは「看護婦なんか」と無意識にさげずむような言葉を言っていました。

そんな彼女たちも、先生の覚悟を目の当たりにして、看護婦という仕事の重要さを理解したのでしょう。

黒川病院こと知名堂病院では、実際に明治27年(1894)には県内初の看護婦養成所となる「知名堂病院付属産婆看護婦養成所」を創設します。

大関和の姿に感銘を受け、看護婦を目指して知名堂病院の養成所に入る……そんな生徒がいたかもしれませんね。

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