『豊臣兄弟!』後半の鍵を握る「浅井三姉妹」茶々・初・江——秀吉に翻弄された波乱の生涯 (6/12ページ)

Japaaan

左:京極高次/右:常高院(浅井 初)wiki

姉妹愛を重んじ嫁ぎ先を栄えさせた初

慶長5年(1600)の『関ヶ原の戦い』では、京極家は東軍へ与し大きな功績を挙げ徳川家康に認められます。けれども、慶長14年(1609)夫・高次は47歳の若さで亡くなってしまいました。

お初は出家して、常高院と名乗ります。この頃から、姉の茶々がいる豊臣家と、妹・江が嫁いだ徳川家(江は家康の嫡子・秀忠と結婚)との関係は悪化。

慶長19年(1614)には『大坂冬の陣』が勃発します。

初は家康に依頼されて、徳川・豊臣両家の仲介役となり一旦は和睦となるも、翌年慶長20年(1615)『大坂夏の陣』で、再び両家は対立。

初は大坂城へ入り、最後まで和睦に尽力するも姉・茶々は従わず大坂城は落城しました。

徳川家の天下となると、初は、江と秀忠の四女・初姫を、京極家の当主となった自分の息子・京極忠高に嫁がせました。

初は、京極家に徳川家の血を入れお家の安定を図ろうとしたようです。ところがなぜか、初姫と忠高の夫婦仲は非常に悪かったそうです。

寛永7年(1630)に初姫が亡くなった際、忠高は臨終の席にも来ずに相撲見学に興じていたと伝わります。

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