『豊臣兄弟!』“愚かな二代目”、丹羽長秀の嫡子・長重はなぜ徳川幕府で大復活できたのか?【後編】 (4/9ページ)

Japaaan

徳川家康(Wikipedia)

当時家康は、豊臣家の五大老筆頭と言う立場にありました。その家康を暗殺するというのは、主君である豊臣秀頼への反逆にあたります。そして家康は、その黒幕が利長だと疑いました。これが世にいう前田騒動です。

長重の所領小松は、前田家の本拠加賀金沢の隣に位置します。そのため家康は長重と誼を通じ、前田家の監視を依頼していたのです。

そして家康は、ついに前田攻めを決意。長重は、その先陣を家康に申し出て認められました。しかし一触即発とも思われたこの緊張関係はおおよそ半年ほどで収束します。利長が母・松の方(芳春院)を江戸に人質として送ることで徳川に屈服したのです。

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