『豊臣兄弟!』“愚かな二代目”、丹羽長秀の嫡子・長重はなぜ徳川幕府で大復活できたのか?【後編】 (9/9ページ)
このころになると、各地へ離散していた丹羽家の旧臣達が長重を思い、次々と帰参しています。また長重が築いた棚倉城、白河小峰城はいずれも名城との誉れが高く、この築城技術を幕府が評価したことで、東北への入り口にあたる要衝に長重を配置したとの説もあります。
こうして1637年(寛永14年)3月4日、長重は白河藩の江戸桜田上屋敷でにて67歳の生涯を閉じました。
織田家を支えた丹羽長秀の嫡子として生を受けたものの、家督相続をするや秀吉から120万石の大領を没収。
10万石の大名に復帰するも、関ヶ原合戦では前田家と対立して一度は改易されながら、それでも、家康・秀忠の信任を勝ち取り東北の要衝白河で大名に復帰した丹羽長重。
どんな境遇にあっても、堅実で実直な人柄を貫き通したことで、波乱万丈の人生を乗り切った生涯であったといっても過言ではないでしょう。
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