『豊臣兄弟!』“愚かな二代目”、丹羽長秀の嫡子・長重はなぜ徳川幕府で大復活できたのか?【後編】 (5/9ページ)

Japaaan

前田利長の騎馬銅像(Wikipedia)

家康は次の目標を同じ五大老で、会津に帰国している上杉景勝に定めます。そして上洛命令を拒否する景勝に家康は、「秀頼公へ謀反の動きあり」として討伐軍を起こしました。こうして関ケ原の戦いの前哨戦が起きたのです。

この上杉征伐にあたり家康は、前田家に北陸諸将を率いて参戦するよう命じます。利長はこれを受けて長重にも参陣を呼びかけました。

しかし、長重は反発します。前田家の監視と先鋒を命じたにもかかわらず、手のひらを返したように利長の配下になれと言うのはあまりにも理不尽だと考えたのです。

長重の動員兵力はせいぜい4千人。前田家はその気になれば3万の兵を動員できます。約10倍もの兵力差がありながら、半年以上も臨戦態勢を敷き、家臣たちには決死の覚悟を強要してきました。

それを反故にすることは、武家としての面目が絶たない。家康が利長を味方にしようが、自分の敵は前田家に他ならない、長重はそう決断したのです。

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