『豊臣兄弟!』千利休(吉岡秀隆)ついに登場!なぜ信長や秀吉は「茶の湯」にここまで傾倒したのか? (6/8ページ)
豊臣秀吉と秀長 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
さらに利休は、従来の茶の湯にとらわれない自由闊達な発想で、茶室や茶道具のあり方を変えていきます。高弟の山上宗二も、このような利休について「宗易は名人なれば、山を谷、西を東と、茶の湯の法を破り、自由せられても面白し」と評しています。
利休は、伝統を守るだけではなく、自ら新たな価値を生み出す茶人でもありました。しかし、このような利休の茶の湯に対する信念や行動が、秀吉との対立を生じることになり、それが利休滅亡という悲劇に繋がったとも考えられるのです。
利休の死後、茶の湯はさらに広がっていく利休亡き後、「侘び茶」の精神は門人たちに引き継がれていきました。利休の門人には、豊臣政権下で重きをなした大名・武将も多く、その代表が細川三斎(長岡忠興)、織田有楽斎、古田織部らです。
彼らは後世「利休七哲」と呼ばれ、大名茶の発展に大きな役割を果たしました。