【豊臣兄弟!】他責思考のヤバいZ世代武将・秀次(山田涼介)の悪評は罠?史実が語る“悲劇の名君”との落差 (5/10ページ)
山田さん上手い)
まさかの、他責思考!?
あっけに取られつつ秀長は「徳川が優れていただけ、誰も責められない」といいます。
秀次は頷いて笑みを浮かべ「さようでございますね…」といいつつも、背中を向けたときには、笑みは消えていました。
この衝撃的なキャラクター設定は、ネットでも大いに話題になりましたね。
絶対的プリンス感がありつつプライドが高く、危うさと脆さも感じさせる、そんな新しい秀次像でした。
秀次と秀長の関係性はどうなっていくのか。(NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより)
本当は激怒し秀次を叱責する手紙を書いた秀吉実際、天正12年(1584)小牧・長久手合戦にて、秀吉軍の策は徳川軍に看破され作戦変更。
数え17歳の秀次が『三河中入り作戦』(岡崎方面への別働隊侵攻)で一隊を率いたものの、徳川軍の急襲で白山林で敗走したことは、通説として有名です。
『太閤記』や諸記録に基づき、現代の歴史叙述・自治体史でも標準的に記述されています。
このとき、秀次はただの名目上の総大将で、実際の指揮は老練な将に依存していた面が強く「若年ゆえの経験不足が敗因」とも。
ドラマでの秀吉は、秀次に対してゆるめの叱責でしたが、実際はめっちゃ怒っていたようです。
奇襲したのは、徳川四天王の一人である猛将・榊原康政(栗原類)だったので、経験値の少ない秀次が負けてもしかたないとはいうものの、秀吉は面子を潰された思いもあったのかもしれません。