【豊臣兄弟!】他責思考のヤバいZ世代武将・秀次(山田涼介)の悪評は罠?史実が語る“悲劇の名君”との落差 (6/10ページ)
江戸時代前期の『武家事紀』(山鹿素行)には……
秀吉似書責三好秀次
九月廿三日、宮部善浄坊・八須賀右衛門ヲ似テ九箇篠ヲシルシ、秀次武義ノ覚悟ヲオコリラリ、秀吉ノ近親ニヨッテ諸人ニ無禮ヲナスコトヲ諷諷シ、且於長久手敗北ノ事を責、
という記述があります。
現代語に意訳すると…
「秀吉は書状を送って三好秀次を叱責した。
九月二十三日、宮部善浄坊(宮部継潤)と蜂須賀右衛門(蜂須賀正勝)を使者として、九箇条(五箇条とも)の文を記し、秀次に武人としての覚悟を起こさせるように促した。」
という意味合い。
そして、具体的に「甥であることを鼻にかけるな」「名将たちを討ち死にさせたのはとんでもない」「手討ちにすることもあり得る」などというような内容が書いてあったそうです。
ガチで怒った様子が伝わりますね。
けれども、秀次は跡取り候補。「将来は名代を継がせようかとも考えていた、これからの覚悟次第だ。自覚を持て」とも書いてあったとか。
「怒り心頭でも必要な存在」という思いだったのでしょうか。