『豊臣兄弟!』なぜ長宗我部元親は秀長に屈した?史実に残る2人の関係性と「鬼若子」のその後… (2/9ページ)
この戦いで大きな役割を果たしたのが、数カ月前に「長秀」から「秀長」へと名を改めた羽柴美濃守秀長(仲野太賀)でした。
1585年(天正13年)3月、秀吉に屈した信雄が領国の伊勢へ戻ると、秀吉と秀長は大軍を率いて紀州征伐に乗り出します。
彼らのターゲットとなったのは、紀伊国北西部、現在の和歌山市周辺に本拠を置く雑賀衆と、紀伊国北部、現在の和歌山県岩出市にある根来寺の僧兵・根来衆です。
雑賀衆は、雑賀荘・十ヶ郷・中郷・南郷・宮郷などの地侍たちによる惣国的な連合で、鉄砲で武装した高い軍事力を持つことで知られていました。
また、彼らは海の民でもあり、海運や交易などを通じて豊かな経済力を持っていたと考えられています。
一方の根来衆は、広大な寺領を持つ根来寺を拠点とした僧兵集団です。彼らも鉄砲で武装し、強力な軍事力を有していました。