『豊臣兄弟!』なぜ長宗我部元親は秀長に屈した?史実に残る2人の関係性と「鬼若子」のその後… (6/9ページ)
「鬼若子」元親を待っていた現実
秀長は1585年(天正13年)6月、蜂須賀正勝(高橋努)、黒田孝高(倉悠貴)、宇喜多秀家、羽柴秀次(山田涼介)、さらに毛利輝元(濱正悟)配下の中国勢など、10万とも12万ともいわれる大軍勢を率いて四国へ侵攻しました。
羽柴軍主力として出馬し、元親との和平交渉を行った秀長と蜂須賀正勝(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
これに対し元親も土佐勢を中心に4万ほどの軍勢を動員して抵抗しますが、伊予・讃岐・阿波の諸城は次々と羽柴軍の手に落ちていきます。
元親は防衛拠点としていた阿波の白地城(はくちじょう)において、一度も決戦をせずに降伏することを恥辱と考え、「たとえ本国の土佐まで攻め込まれても徹底抗戦する」と主張しました。
しかし重臣たちの説得を受け、秀長による停戦条件を受け入れ、ついに降伏したのです。