『豊臣兄弟!』なぜ長宗我部元親は秀長に屈した?史実に残る2人の関係性と「鬼若子」のその後… (5/9ページ)

Japaaan

信長の変心を明智光秀に詰め寄る元親(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

これに反発した元親に対して、信長は三男・織田信孝(結木滉星)を総大将として四国征伐軍を組織しますが、1582年(天正10年)6月2日の本能寺の変によって、この計画は立ち消えとなりました。

その後、元親は讃岐・阿波・伊予へと勢力を広げ、四国統一を目指します。

しかし、信長の遺志を引き継ぐ形で、長宗我部氏との対決路線をとった秀吉は、これを認めませんでした。

このような状況のなか、1583年(天正11年)末には、元親と秀吉との間で和睦が協議されたとする説もあります。

しかし交渉はまとまらず、紀州征伐が終わると、ついに秀吉は四国征伐へと乗り出したのです。

「『豊臣兄弟!』なぜ長宗我部元親は秀長に屈した?史実に残る2人の関係性と「鬼若子」のその後…」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟!、豊臣秀長、長宗我部元親、戦国時代、豊臣秀吉、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る