『豊臣兄弟!』「織田家になど生まれなければ」信雄の暴言は単なる創作か?壮絶な半生と父への複雑な思い (5/9ページ)
伝えられている系譜を合計すると、男子・女子を合わせて20人を超える子どもがいたとされます。
そのなかで歴史の表舞台に登場するのが、嫡男・信忠、次男とされる信雄、三男とされる信孝(結木滉星)、そして秀吉の養子となった秀勝(柊木陽太)らです。
信雄は1558年(永禄元年)生まれ。生母は生駒吉乃(久菴桂昌)とする説が広く知られています。
同じ年に生まれた信孝との出生順には異説があります。これは信孝の母の坂氏が吉乃と比べて身分的に低かったことで、信雄のほうが重要な立場に置かれていたとも考えられるのです。
それはさておき、信雄の少年時代を見ていくと、嫡男の信忠とはかなり異なる人生を歩んでいたことがわかります。
以下、簡単な年表で本能寺の変までの二人の歩みを簡単に追ってみましょう。
●信忠:1557年/尾張国に生まれる。
〇信雄:1558年/尾張国に生まれる。
〇信雄:1569年/北畠具房の養嗣子となり、伊勢へ入る。
●信忠:1572年/元服。