『豊臣兄弟!』「織田家になど生まれなければ」信雄の暴言は単なる創作か?壮絶な半生と父への複雑な思い (7/9ページ)

Japaaan

織田信雄像/總見寺蔵(Wikipedia)

1576年(天正4年)、信長の意向を受けた信雄は、岳父である北畠具教や北畠一族の粛清に関わります。幼いころから自分を受け入れた北畠家の人々を、自らの手で排除していかなければならなかったのです。

しかも、嫡男・秀雄の母である正妻の千代御前(具教の娘)は、父や一族が殺されたことを知り自害してしまいました。

もちろん、戦国時代において政略結婚や一族の粛清は決して珍しいことではありません。しかし、幼いころから織田家と北畠家の間に置かれた信雄の人生が、精神的にも政治的にも過酷なものであった可能性は考えてよいでしょう。

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