『豊臣兄弟!』仏罰はすべて引き受ける!秀長の覚悟に震えた第37回…蜂須賀正勝の最高の“ナレ死”に涙 (3/11ページ)
🄫NHK
今回から羽柴家臣団に仲間入りした小堀正次(萩原護)と羽田正親(平埜生成)の二人について、おさえておきましょう。
小堀正次(こぼり まさつぐ)天文9年(1540年)生~慶長9年(1604年)没
二度にわたる出家と還俗を繰り返した挙げ句、小一郎に仕えた経歴があります。政治手腕を評価されて紀伊国や大和国の検地を手がけました。
劇中でも言及があったとおり、寺社勢力の強いこれらの国で検地を進められたのは、正次に僧侶の経験があったからかもしれませんね。
小一郎の死後は秀吉の直臣となり、秀吉の死後は徳川家康(松下洸平)に接近して命脈をつないでいます。また茶人として名を馳せた小堀遠州(えんしゅう)の父としても知られています。
『豊臣兄弟!』で萩原護が演じる武将・小堀正次とは?秀長・秀吉・家康が重用、“出家を重ねた実務派”の生涯 羽田正親(はねだ まさちか)生年不詳~文禄4年(1595年)8月24日没
近江国の出身で、若いころの動静ははっきりしません。天正11年(1583年)に勃発した賤ヶ岳の戦いでは重要拠点を任されていた記録があるため、浅井滅亡後から仕えていた≒ある程度のキャリアがあったと考えられています。
天正13年(1585年)に秀長が紀伊国を与えられた際、藤堂高虎(佳久創)や横浜一庵(よこはま いちあん)らと共に和歌山城の普請を担当しました。
後に秀長の三家老(横浜一庵・小川下野守・羽田正親)に数えられるほど出世しますが、秀長死後に起こった秀次事件の責任を問われ、自害に追い込まれてしまったそうです。
