『豊臣兄弟!』仏罰はすべて引き受ける!秀長の覚悟に震えた第37回…蜂須賀正勝の最高の“ナレ死”に涙 (6/11ページ)
大和国の領民たちが永く寺社勢力に従属してきたのは、彼らにとってそれが有利だからに他なりません。
例えば大名と寺社に年貢を納めるなら、どちらが得かと言えば、多くの場合は後者でした。平安時代の御厨(みくりや)などはその典型で、寺社に対して年貢を納めれば、現地の領主に対する納税義務は免れるのが通例です。
だから有力者たちはこぞって所領を寺社勢力に寄進し、寺社勢力に寄進した土地は、世俗の権力者にとって手出しの出来ない聖域(租税軽減地)となったのでした。
言ってしまえば寺社勢力と領民たちはグルになっており、持ちつ持たれつだったからこそ、永く寺社勢力が国内を牛耳って来られたのです。
ただ仏罰だけで脅し続けられるほど、戦国時代の農民たちも単純ではなかったでしょう。
秀長の大和国統治
大和国主となった秀長。居並ぶ群臣たちと育んできた絆を、これから魅せてほしいところ。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
天正13年(1585年)閏8月に大和国へ入った秀長は、検地の他にも各種の施策を展開しています。
まずは国内を跳梁跋扈していた盗賊らを追捕するよう厳命し、領内の治安回復を優先することで民心の掌握を図りました。