『豊臣兄弟!』なぜ石川数正(迫田孝也)は徳川家康を裏切ったのか? 史実とドラマ描写から見える出奔の理由 (6/10ページ)

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一つは、秀吉の勢力と実力を目の当たりにし、徳川家がこのまま対抗し続けることに危機感を抱いたという説。

二つ目は、徳川家を守るために、あえて裏切り者の汚名を引き受けたという説。数正が秀吉側に入ることで家康を守ろうとしたのではないか、という見方です。

三つ目は、秀吉との和睦をめぐって家康や家臣たちとの間に溝が生まれ、家中で孤立したという説。和平を重視する数正と、対決姿勢を崩さない武功派の家臣たちとの間で、意見の相違があったという説です。

もちろん、これらの説に含まれる要素が、数正の決断に何らかの影響を与えた可能性はあります。

秀吉により豊臣大名に引き上げられた数正(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

しかし筆者は、それらに加えて、秀吉が数正の能力を高く評価し、豊臣政権で新たな地位を与えようとしたことが、出奔の大きな要因になったのではないかと考えます。

数正は秀吉のもとに移った後、河内国内で8万石を与えられ、さらに1590年(天正18年)には信濃松本へ移り、10万石を領する大名となりました。

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