『豊臣兄弟!』なぜ石川数正(迫田孝也)は徳川家康を裏切ったのか? 史実とドラマ描写から見える出奔の理由 (8/10ページ)

Japaaan

徳川家康と石川数正(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

そこには、徳川家における家臣の所領について考えてみる必要があります。

1590年(天正18年)、家康が関東へ移封された際、徳川四天王のうち井伊直政(阿久津仁愛)には上野箕輪12万石、本多忠勝(夏生大湖)には上総大多喜10万石、榊原康政(栗原類)には上野館林10万石が与えられました。一方、筆頭格の酒井忠次は下総臼井で3万7千石程度が与えられたとされます。

直政・忠勝・康政がバリバリの武功派だったのに対し、忠次は数正と同じように外交的な交渉担当でもありました。家康はそもそも、譜代の家臣に対してそれほど多くの所領を与えていません。幕府を開いてからも大半が10万石未満です。

そして当時の武士たちは、第一に家のことを考えました。そうなると、数正が徳川家にとどまった場合、どれほどの所領や地位を得られ、それを子どもたちに残せるのか。

外交能力に優れ、徳川家の中枢を担っていたという自負がある数正が、将来にわたってどのように評価されるのか。それは本人にとっては、無視できない問題だったのです。

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