【三沢光晴をめぐる証言vol.1】小橋健太インタビュー (5/8ページ)
三沢さんの発言からは、PRIDEやK─1の台頭に対して、「プロレスの凄さを見せなきゃいけない」という使命だったり、あとはミスター高橋本に対する怒りみたいなものが出ていたと思うんですけど。小橋さんは、そういう点については、どういう思いがありましたか?
小橋 僕はK─1やPRIDEに対するライバル意識というものが、すごくありましたね。あの頃、プロレスラーがK─1やPRIDEに出たりすることも多かったですけど、僕は純粋にプロレスの試合で、プロレスの凄さを見せたかった。やっぱりプロレスラーは、プロレスでみんなを魅了するのが仕事なんで。プロレスを見た驚き、感動というものを伝えたかった。そういう思いが、2003年3月1日の三沢さんとの試合につながったんですよ。あの日はK─1とかWJもあったじゃないですか?
──ノアが武道館で、K─1MAXが有明コロシアム、そして横浜アリーナでWJプロレスの旗揚げ戦があったんですよね。
小橋 そういう興行戦争があって、大雨も降ってたんですけど、それでも武道館が天辺まで超満員になって、ファンのみんなが凄く盛り上がってくれて。自分たちがやってきたことは、間違いじゃないんだっていうのを強く思いましたね。そういった意味で、ほかの格闘技に負けたくないっていう思いは強くありました。それは三沢さんも、そういう思いが強かったと思うんですよ。だから、言葉は交わさなくても同じ方向を向いていたから、凄い試合ができたんだと思うんです。
──でも、そういうさらなる高みを目指す試合を続けた代償で、小橋さんはどんどん満身創痍になっていったわけじゃないですか。その点についてはどう思ってますか?
小橋 後悔はないですね。自分が必死にプロレスをやってきた結果でしかないので。一生懸命、覚悟を決めてやってきたからこそ、いまがあるんだと思います。確かに病気にもなったし、ヒザだって現代医学ではもう治らないと言われてます。でも、後悔はないです。逆に、ここまでやってこれた自分自身の身体に感謝してるし、応援してくれたファンの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいですね。
──それはまさに全力でやってきたからこそ言える言葉ですね。