【三沢光晴をめぐる証言vol.1】小橋健太インタビュー (1/8ページ)
2代目タイガーマスク、全日本プロレス社長、プロレス四天王としての活躍、そしてプロレスリング・ノア旗揚げ。「天才」という名を欲しいままにしつつ、2009年6月13日におきた「リング上での死」という形で、ファンに衝撃を与えたままこの世を去った三沢光晴。
先日発売された「俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)」では、彼と関係のあった10人のレスラーの証言を集め、プロレスラーとして、また男として、三沢がどんな人間だったのかに迫った。今回は、特別にその中から一部を抜粋して紹介したい。
「僕が三沢さんから学んだ一番のことは"覚悟"ですね。リングに上がったら、覚悟を決めて後悔がないように全力を尽くす」
小橋 僕と三沢さんの試合は、危険な技が多かったって言われますけど、僕は三沢さんに危ない技を出されても、「ひどいことすんな~」とか全然思わなかったですよ。僕もハーフネルソン(スープレックス)とかで、危険な角度で落としてるけど、三沢さんもそうは思ってなかったと思う。やっぱり、僕と三沢さんの試合というのは、三沢さんが正面から僕の思いを受け止めてくれたからこそ、「三沢VS小橋」として世間にアピールできたというか。三沢さんが、「俺は先輩だから」っていう態度で来て、僕の思いを正面から受け止めてくれなかったら、ああいう試合にはならなかったですよ。
──三沢さんは小橋さんより何年も先輩なのに、まったく同じ土俵に立って、正面から受けてたってましたもんね。
小橋 三沢さんは僕より7~8年先輩だったかな? それだけ上なのに僕の思いを受け止めてくれたから、ああいう「三沢VS小橋」っていう試合ができたし、思いを受け止めてくれなかったら、僕の思いが空回りするだけだった可能性だってありましたよ。そうしたら、僕だって「なんだよ?」ってなってただろうし。その後のノアもなかったと思いますから。
──試合がどんどんエスカレートしていったのは、やはりお二人が理想というものを、かなり高みに置いていたからなんですか?もっと上にいけるはずだっていう。
小橋 僕は本当の意味で"三沢VS小橋"っていうのが始まったのは、97年1月の大阪からだと思ってるですけど。