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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第21話しばしば夢に見る光景がある。もう十年以上前の事だ。・・・・・・
「てえへんだ!」
すぱんと障子をあけて、兄弟子の一人が叫んだ。
「品川にクジラが打ち上がってるってよ!」
大画室がどよめいた。
「芳、行くぞ!」
誰が立ち上がるよりも早く、いの一番に国芳の首根っこをつかんで引っ張り上げたのは、なんと師の豊国であった。
「父っつぁん!?」
「早くしろ」
いつも話しかけてくる訳でもないのに、なぜ急に自分が選ばれたのか訳も分からずに国芳は立ち上がり、豊国の後を追いかけた。
「父っつぁん早えよ」
「てめえ、クジラだぞ。見逃してたまるか?」
「そりゃア、たまるめえよ!」
国芳は生き生きと答えた。
嬉しかった。
たとえこれが、師と弟子としてではなく、親父が孫を見世物小屋に連れて行くのと同じような心境から発した行為であったとしても、それでいいと思えるほど、国芳は嬉しかった。
陽光を反射して、江戸前の青海波が燦爛とした。
日本橋上槙町の豊国の工房から品川に出るには、ひとたび外に出たら後は南にまっすぐ降りてゆく。青物市場が並ぶ大根河岸を抜け、京橋を渡り、木挽町の芝居小屋を横目にひたすら南を目指すと、やがて空気が凛と澄んでくる。鼻先につんと潮風の匂いが触れれば、その向こうに広がるのはもう、風光明媚な江戸前の景色である。