【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第23話 (9/17ページ)

Japaaan

「何であんな大事な事を忘れられたんだろう」、

つまらねえ絵を描くなと、初めてわっちに教えてくれたのア、父っつぁんだったのに。

・・・・・・

◾文政八年、一月

朝五つ。

仕事に出始める町の大工たちにぶつからないように右に左にと避けながら、国芳は小さな親父橋渡った。尻からげの行き交う本舩町の魚河岸の賑わいもいつもなら足を止めて知り合いの一人にも声を掛けるところだが、今日は目もくれず通り過ぎた。

緩やかな半月を描く日本橋を渡り、縄縛りの罪人が頭を垂れる大高札場を横目に過ぎて日本橋通りの四丁目を右に入るともう、懐かしい工房に着いた。

ほんの一瞬生じた迷いを振り払い、国芳は十余年ぶりに豊国の住まいの敷居を跨いだ。声をかけるとすぐに女中が現れ、土けむりにまみれた国芳に水盥を差し出した。よほど鬢の乱れが気になったのか櫛まで貸してくれ、国芳が足を洗って鬢を整える間に、女中は奥へ人を呼びに走った。

「はいはい、どちら様。・・・・・・あら」、

奥から国芳を迎えたのは、豊国の内儀のおそのであった。おそのは国芳の顔を見てひどく驚いた表情をした。

「・・・・・・国芳さん?」

「お久しぶりでござんす」

国芳は気恥ずかしげに腰を低くして挨拶した。

「本当!久しぶりね!良い男になっちゃって!まあまあ、ようこそいらっしゃいました」

おそのは懐かしそうに声を上げた。おそのは豊国が四十を越した頃に僅か十六歳で嫁した身だ。その頃と比べれば年増になったとはいえまだ三十そこそこで、年齢だけいえば国芳が一番近いくらいだ。多少の面やつれは見えるものの頬はもちのようにまあるく、細い鼻に円らかな目を持つ美しい内儀である。

その背後の部屋から、十歳そこそこくらいの可愛らしい少女がちらりと顔を覗かせた。

「おきんちゃん・・・・・・?」

国芳はおずおずと訊いた。おきんとは豊国の娘の名である。国芳が知っているおきんは、まだ生まれたての小さな赤ん坊であった。おきんは小さな顔を真っ赤に染め、慌てて顔を引っ込めた。

「あら、きんったら照れてしまって。ご無礼お許しくださいましな。

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