【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第23話 (4/17ページ)
国芳は嬉しくなって皆と一緒にがむしゃらに押した。ところがいくら押してもさすがに十間近い大鯨はびくともしない。しばらくすると腰が砕けそうになり、国芳は手を止めた。
「こりゃ、てんでんばらばらで押しても意味がねえ」
少し思案して、
「あ、父っつぁん!父っつぁんッ!」
国芳はいつのまにか隣で一緒になって鯨を押していた豊国に声を掛けた。
「なんだこのヤロウ!」
豊国は背美鯨に似たしゃくれ顎を突き出し、歯を食いしばって返事をした。
「父っつぁん、ここにいる全員を今から父っつぁんが一つにまとめてくだせえ!」
「はあ?」
「まあ一つ、見ててくんねえ」
身軽な国芳は大きな鯨の上にぴょんと飛び乗った。
「エー、皆!ちょいと聞いつくんねエ!このマヌケな大鯨のために手伝ってくれてありがとうごぜえやす!このままてんでばらばらに押しても埒があかねえんで、ここは一つ、音頭を取って息を合わせようと思いやす!音頭を取るなア、おいらの絵の師匠にして天下の大浮世絵師、歌川豊国先生!」
「エ!」
「豊国だと!」
江戸ッコたちは一気に色めき立った。この中に本物の歌川豊国の顔を知る者は恐らくいない。しかし、豊国の指先から生み出された錦絵の数々は、江戸ッコならば誰しもがよく知っている。知っているどころの話ではなく、ひとたび新しい摺物を売り出せば皆がこぞって地本問屋に押しかけて買い求める、押しも押されもせぬ大御所絵師である。視線を一手に受けた豊国は、驚きながらも怯む様子はなく、内から鷹揚たる威厳を滲ませていた。誰が聞かずともその立ち姿こそが本物の歌川豊国である事を物語っていた。
「たぶん、本物だ!」
「本物の歌川豊国だ!」
彼方此方から声が上がるのを制し、国芳は続ける。
「今から、父っつぁんのエイエイオーの掛け声で、皆一緒にこの大鯨を押してくだせえ!」
「ふうん、面白え」
「乗ってやろうじゃねえか」
興奮した声がそこかしこから飛んだ。