土方歳三(ひじかたとしぞう)は、一体箱館でどのような最期を遂げたのでしょうか?
大河ドラマでは触れられない、でも知りたい部分ってありますよね。
この記事を読めば、土方歳三が箱館でどのような立場にあったか、どのように戦って死んだかがわかります。
当該記事は、渋沢栄一らの証言や国立国会図書館のHPを参考に歴史ライターの著者が作成しました。
気になる部分だけ、短時間でわかりやすく読めるようになっています。
鬼の副長、箱館共和国の一員として五稜郭で戦う明治元(1868)年10月、榎本武揚らは奥羽追討平潟口総督・四条隆謌に嘆願書を提出。旧幕府によって蝦夷地(現在の北海道)を開拓と、自らの救済を訴えました。
同月、蝦夷地の鷲ノ木に上陸した旧幕府軍は箱館に向けて進撃。瞬く間に同地を手中に収めます。
新選組副長・土方歳三は、七百の旧幕府兵を指揮して松前城に進撃。わずか数時間で落城させました。
幕末以降は、新式銃が戦いの行方を決するようになっていました。
歳三は見事に新式銃の部隊を指揮し、戦いの勝利に貢献したのです。
誤解されがちですが、新選組は剣や槍だけの旧式部隊ではありません。
実際に早い時期から銃による武装を試みており、歳三などはいち早く洋装を取り入れていました。