【現代医学】すごく腹が減っているときに食べると死ぬ危険アリ / 戦国時代に「兵糧攻め」で大量の餓死者 (2/8ページ)
そのためにはまず別所さんの支配地を押さえなければ先へ進めずません。当然ながらノブナガさんに目を付けられ、実際は秀吉によって「織田家へ付けば領地保証しまっせ!」と調略されると、別所家も一時は織田方へなびいたのでした。
・普段より多くの兵糧が必要
ところが、です。結局、当主の別所長治が叔父の勧めで毛利方になびいてしまい、地元の三木氏や宇野氏がこれに同調すると、周辺地帯の勢力図が一変してしまうのです。長治は三木城に籠城して、毛利の援軍を待つこととしました。三木城に籠城した人数は推定7,500人。兵士だけではなく、家族や浄土真宗の門徒も含まれる諸籠り(もろごもり)です。当然ながら普段より多くの兵糧が必要となりますので、その補給は、毛利氏の船で瀬戸内海から陸揚げし、周辺の支城と連携することで運び込んでおりました。
・三木城は補給が困難な状態
これに対して秀吉は、徹底した支城攻略で臨みます。敵のネットワークを潰しまくり、『米の通り道』を塞いだのです。途中、上月城の攻防や荒木村重の裏切りによるドタバタなどもありましたが、最終的には狙い通りにコトが進み、三木城は補給が困難な状態に……。
・自らの軍は被害をこうむることなく敵を飢えさせブッコロス!
そんな秀吉&官兵衛の狙いはドンピシャ当たり、三木城内で千人単位の餓死者が出ると、当主の別所長治もついに降伏。自らの切腹と引き換えに兵士・領民の助命を保証し、1年10ヶ月に及ぶ籠城戦は幕を閉じました。この一戦、『三木の干し殺し』と呼ばれております。

・高値で米を買い占め城内の兵糧米さえ買ったという
兵糧攻めにより千人規模の餓死者が出た三木城。その様相はさぞかし地獄絵図だったでしょうが、それを上回るキツさと伝わっているのが鳥取城です。12歳以下のお子様&グロ苦手な方はページを飛ばしちゃってください。