デーモンズ・コアの臨界事故で被ばくしながらも研究を止めなかった物理学者、ルイス・スローティン博士 (1/5ページ)

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デーモンズ・コアの臨界事故で被ばくしながらも研究を止めなかった物理学者、ルイス・スローティン博士
デーモンズ・コアの臨界事故で被ばくしながらも研究を止めなかった物理学者、ルイス・スローティン博士

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 デーモン・コアという言葉をご存じだろうか?これは、アメリカのロスアラモス研究所の各種実験で使用された約6.2kgの未臨界量のプルトニウムの塊で、当初はルーファスと呼ばれていたものだ。

 不用意な取り扱いにより2度の臨界事故が発生し、二人の科学者が命を落とした。1946年5月21日に起きた二度目の臨界事故でカナダ人物理学者ルイス・スローティン(享年35)は、誤って核分裂反応を発生させてしまい大量の放射線を浴びてしまったのだが、その直後でも研究を止めなかった。米ニューヨーカ誌で、スローティンの死に関しての特集がなされていた。

 その実験は1946年5月21日の午後に始まった。場所はニューメキシコ州ロスアラモスから4.8km離れた渓谷に建てられたある研究所だ。ここは原爆が開発された場所でもある。

 この時ルイス・スローティン博士は、核兵器の露出したコアを臨界点付近に近づける方法を同僚に見せていた。これは”竜の尾のくすぐり”と呼ばれた少々注意が必要な任務であった。

 低いテーブルに置かれた物体は一見なんの変哲も無い代物に見えたが、半球型の鈍く光る金属の中心にはプルトニウムがむき出しになっていた。触れてみれば放射線のせいで暖かさが感じられる。

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 これは長崎への原爆投下直後、日本に再度攻撃を仕掛けるために作られたものだが、日本の降伏を受けてお払い箱になっていた。当時、スローティン博士はプルトニウムの扱いに関しておそらく世界最高の専門家であったろう。
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