83歳筆者の〈極私的鑑賞ノート〉(3)...私のNo.1映画は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」 (5/9ページ)
このシーンの転換に際して、非常に効果的に使われているゲオルゲ・ザンフィルのパンフルートのメロディーが非常に印象的である。
探って行く内に、どうやら、この手紙は時の商務長官ベイリー(ジェームズ・ウッズ)から送られて来たらしいことが浮かび上がって来る。果たして、ベイリーとは何者なのか?
この事態は、いわば、どんでん返しのようなものである。今や商務長官ベイリーへと変身したマックスが、実は周到な計画に基づいて一芝居打った裏切り行為によって生じたことが判明する。
そして、現在、商務長官であるベイリーは汚職の疑いで追求されており、彼の証言を恐れる黒幕の人物達から、その生命を狙われていることを彼自身自覚している。逃れようのない自分の生命を、せめて過去に親友だったのに、自ら裏切った男の手で殺されるべく招待状を出し、予め殺人依頼の費用まで送ってあったのだ。
丁度良い機会だし、どうせ殺されるなら、お前にやって貰いたい!「お前の恋人を奪い、お前に成り代わった俺の裏切りに対する復讐をここで果たせ!」と詰め寄るベイリーに対し、ヌードルスは静かに答える。「長い間、人殺しはやっていない。歳を取って目が悪くなったし、手も震える。俺はやらない。」と言って、静かに隠し扉から姿を消す。
裏門から密かに街路に出たヌードルスに大型のゴミ処理トラックが近付いて来る。ここで、最終的な何か恐ろしいことが起こるか?という観客の心理に逆らい、何事も起きないが、カメラはゴミをすり潰して行くスクリューの動きを追う。「社会のゴミを黙々と処理するマシン」という象徴的な解釈もあるだろう。
最後のシーンは、ヌードルスが追われ始めた以前に、耽溺していたチャイナタウンの阿片窟のベッドに横たわり、恍惚とした表情の果てに、ニヤッと笑顔を浮かべる、ロバート・デ・ニーロ扮するヌードルスの顔の大写しで映画は終わり、その停止したヌードルスのクローズアップ・シーン上をエンドクレジットが流れて行く。
「この映画のストーリー自体が現実か、阿片の幻想による夢なのか?」というような批評もあった。
尚、本作品は意外なことに、僅か7本しか監督作のないセルジオ・レオーネの遺作となった。(一部<allcinema>の資料を利用した。