83歳筆者の「手作り葬儀」始末記...105歳の母を送って (4/8ページ)

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筆者は自分なりに、確り「通夜」も「告別式」も行ったのである。葬祭業者の言う「通夜・告別式」は必ず、宗教者(つまり、僧侶)が関わる儀式のことを念頭に置いているわけである。

過去の筆者のコラムに、いわゆる「お坊さん便」の問題を書いたことがある。つまり、分かり易く言ってしまえば、筆者の行った葬儀は原則、「お坊さん便」スタイルであり、更に言うなら、お坊さんの役割も筆者自らが遂行する、いわば「手作り葬儀」とも呼べるものを執り行ったのである。

自宅から至近(車で5、6分)のこの葬祭場の安置施設を利用したのは、正解であった。

というのは、母が亡くなった11月5日は土曜日であった。

知らなかったが、人間が死亡すると、24時間経過後で無いと、荼毘には付すことが出来ない(つまり、火葬することは許されない、ということだ)。

結果的に、母の場合、翌日曜日(市営火葬場は休業)以降、つまり最速で11月7日(月)ということになった。これで結果的に安置施設使用料の1泊分および遺体腐敗防止用ドライアイス1日分の追加を要することになったが、一方で東京から駆けつける筆者長男の当地への到着に余裕をもたらすことにもなった。

母は準備のよい人で、生前から白無垢の死に装束を自ら準備しており、これを筆者が病室の私物として保管していたので、病室を出るときには既に着用していた。その上、残された遺書中には、自分の死に際し、東京在住の、自分の子供達や、その家族には「通知無用」と記されていた。

それは、当家の墓地が東京都の小平霊園内にあり、納骨は当然、こちらとなるので、当地では同居の家族だけで密葬を済ますように、という配慮から出た結論によるものであった。

そういう意味では、今では東京在住の筆者の長男、長女も、こちらの葬儀には参列不要とも考えたが、子供達のたっての願いで、嘗ては一つ屋根の下に暮らしていた長男のみの参加を認めた。

安置施設内に静かに落ち着き、枕頭には枕飾りセットの配置された母を見届けた後、筆者はその部屋に鍵を掛け、自家用車で一旦自宅へ戻った。

家で晩ご飯を済ませると、自分一人が寝るための寝具を車に積み込み、通夜で飲むための古酒を準備し、家人を同乗させて安置施設へ向かった。

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