83歳筆者の「手作り葬儀」始末記...105歳の母を送って (6/8ページ)

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勿論、筆者にとっては、自分を産み、育ててくれた母であるから、純粋な気持ちで母を見送る心を有していることは言う迄も無い。

そういった意味では、実は母の一番のお気に入りの長女(筆者の直ぐ下の妹)に先立たれてしまった今となっては、その人生の殆どの長い時間を同居して来た、筆者と、余人を交えずに、最後の語らいが出来たことは、(寂しいどころか)、母にも一番満足して貰える状況であったろう、と筆者は確信している。

静かに酒を呑み、母に「お休みなさい」を告げて、筆者も母の傍で、ゆっくり睡眠をとった。

翌朝(日曜日)、再び家に戻って朝食を済ませた後、筆者はパソコンに向かって、新しい位牌に貼り付ける母の戒名をプリントし、遺影写真も適当なものを選び、こちらも自分で準備した。因みに、これらを葬祭業者に依頼すると、それぞれ費用が発生する。

実は、戒名は筆者がインターネット上の戒名の付け方を参照して既に準備してあった。ついでに言うと、筆者自身のそれも家人の戒名も既に決めてあって、今回の母の葬儀の機会に、それらを筆者の長男に手渡して置いた。そして、実は、この母の戒名は、本人の生前にこれを示し、母からも同意を得ているものである。この戒名を寺に依頼すれば、少なからぬ費用を必要とすることは、現在略常識であろう。

日曜日には、当市生まれ、育ちで、筆者の種々の活動にも古くから協力して貰っているパートナーが生花を供えて下さった。この生花は、棺の蓋を閉じる際、母の顔の周りを飾る花片として役立った(お供え花が無い場合、葬祭業者から求めることになり、これにも出費を要することになる)。

7日月曜日午後の出棺に先立ち、東京から長男が到着し、筆者と家人を加え、同居していた家族3人立ち会いの下、業者により納棺を行い、家族3人で棺内を花で飾り、慣れ親しんだ遺品を納め終え、棺の蓋は閉じられ、母の遺体を載せた霊柩車は市営の火葬場へ向かい、我々家族3人の乗車した、長男の運転する自家用車は、先導の霊柩車を追尾する。

市営火葬場では、東京での経験とは異なり、その時間帯には当家以外に1件の火葬しか無かった。

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