発生50年「三億円事件」現場のいま あの日この場所で、犯人は何を考えたか (6/9ページ)

Jタウンネット

事件はしばしば「府中三億円事件」とも呼ばれるが、犯行に使われた盗難車は日野市や府中市で盗まれていて、カローラを乗り捨てた後述の第4現場と併せて多摩地域一帯を駆使した計画的犯罪というべき全体像が浮かび上がる。

何やら物騒な立て看板がある
何やら物騒な立て看板がある

国分寺跡は現在でも人の気配はまばらで街灯も見当たらない。事件当時ともなれば尚更だろう。この場所を選んだ犯人の土地勘の良さを思い知る。

現金輸送車はこの七重塔跡付近の墓石のそばで見つかった。当時の写真を見ると、今より木々が生い茂っていた
現金輸送車はこの七重塔跡付近の墓石のそばで見つかった。当時の写真を見ると、今より木々が生い茂っていた
舗装もされていない国分寺跡地は落葉にまみれ、ところどころ車が停まっている
舗装もされていない国分寺跡地は落葉にまみれ、ところどころ車が停まっている
手配車を4か月も放置―団地の「第4現場」

事件発生当日、現金輸送車が発見された時点で、東京都下で大々的に検問が行われたものの、逃走車を発見することができなかった。目撃証言から、盗難された濃紺のカローラ「多摩5ろ3519」と判明した逃走車、通称「多摩五郎」が発見されたのは事件から4か月も経った69年4月9日、強奪現場から10キロメートル近く離れた小金井市本町の団地の駐車場だった。

「発生50年「三億円事件」現場のいま あの日この場所で、犯人は何を考えたか」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る