サブカルの源流とは何か(ロマン優光) (2/9ページ)
今までのサブカルの歴史の中では商業媒体の中で作品に価値付けをしていく評論家のような存在が重要なポジションを占めていましたが、インターネットの普及と共に徐々に数を増やしていった、そういった媒体を通さずに作品と接している人たちの登場で色々と変わっていくのだろうなと感じています。
今から10年の間に、現状で強い影響力を持っている40代から50代の人たちが、よりメジャーなフィールドに活動の舞台を移したり、加齢と共に引退したりで、徐々に姿を消していくことになるでしょう。
私は高校生ぐらいの時、小林信彦という作家が好きでした。小説家としての部分よりも、サブカルチャー評論家としての側面が好きで、彼の書いた時事コラム、映画評、芸人評といったものを読み漁っていたのです。元祖オタク/元祖サブカルとも言っていいような人ですよね。影響はかなり受けたと思います。
そんな小林信彦のことを少しイヤだなと思いだしたのが、91年から92年の間に作家/音楽評論家の松村雄策との間に起こった『ビートルズ論争』です。
小林の小説内でのビートルズの日本公演の考証をめぐって起こった論争なのですが、どっちが正しいかは置いといて、小林の態度が少しどうかと思うものでした。格下の相手に対するマウンティング、自分の知識は絶対間違っているはずがないという態度、詭弁での論点ズラシ、一方的に被害者ぶる姿。松村側もどうかと思うところがあったのですが、それよりも小林のやり方のフェアでない印象が強いです。子供じみた全能感と悪い意味での大人の汚さが同居した様子に当時の私はドン引きでした。あんな感じになる前にみんな去れたらいいですね。
そして、そんな長期間に渡ってサブカルの歴史と併走してきた人たちが去っていった後には、どんな感じのサブカルが残ってるんでしょうね……。まあ、その頃にはサブカルなんて名前で呼ばれているものなんて存在していないという可能性もありますが。
この本の執筆の依頼を受けた時に、正直「自分でいいのかな?」という戸惑いがありました。もっとサブカル的に権威があって知名度のある人が書いたほうが、どう考えたって説得力がありますよね。