サブカルの源流とは何か(ロマン優光) (3/9ページ)
よくよく考えてみると、サブカルのド真ん中にいるような人間が、サブカル内部に対する批判的な要素を含む本を書くのは周囲に対して差し障りがあるし、リスクが高すぎます。
そう考えてみると、サブカル内の界隈に属しているわけではないけど、それなりに付き合いがないわけではない、一応サブカルと見なされている自分のような人間が書くのがいいのかも知れないと思うようになりました。自分のような知名度の人間だと怒られたところで失うものは大して無いし、出版社的にも切り捨てるのが簡単な存在ですからね。いや、怒られたくて書くわけではないですが。
「自分のことをオタクだと思っていたら、ある日突然『お前、今日からサブカルな!』と言われてサブカルになってしまった!」という思いを抱えている私にとって、サブカルという名前は思い入れが強いわけではありません。
しかし、サブカルと言われてる領域の中には今も昔も私が大好きなものが含まれていて無視できるわけでもなく、常にアンビバレントな気持ちがありました。ただ、客観的に見てみると私の活動はサブカルの領域の中で行われていて、私に対するニーズのほとんどもその中にあります。結局のところ、私は客観的にはサブカルでしかないわけです。
そうである以上は、サブカルに対する責任というものをいくらかは負わなければならないでしょう。この本を書くことで、その責任を少しだけ果たせるといいなとは思っています。サブカルに泥を投げつけてるだけのような気がしないでもないですが。
第一章 幻想のサブカル地図 みうらじゅんはサブカルなのか サブカルの源流を辿るサブカル、サブカル、サブカル、サブカル、サブカル……。
この本のタイトルにもサブカルという言葉が入っていますけど、サブカルとはいったい何なのでしょうか?
はっきりわかることは、現在言われているサブカルとは単純にサブカルチャーという言葉の略語ではないということ。そして、その人の文化的立ち位置や世代によって内包する範囲が変わってくる言葉だということです。年令やコミュニティが少し変わっただけで微妙に内容が違ってくる言葉です。