最後の浮世絵師”血みまれ月岡芳年”は大奥と歌舞伎界の大事件「絵島生島事件」をこう斬った! (2/9ページ)
新選東錦絵 「生島新五郎之話」画:月岡芳年(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
月岡芳年の数ある浮世絵の中で、何故か筆者の心に引っかかる一枚の絵をご紹介します。
これは江戸城大奥と歌舞伎界を震撼させた大事件、『絵島生島事件』を題材にした『新撰東錦絵 生島新五郎之話』という浮世絵です。
事の起こりは正徳4年1月12日(1714年2月26日)。大奥の御年寄である絵島が、お仕えしている月光院の名代として、前将軍・徳川家宣の墓参りのために寛永寺・増上寺へ参詣したことが発端です。
参拝も済んだその帰り、絵島の一行は懇意にしていた呉服商に誘われて、江戸四座の一つである山村座で生島新五郎の芝居を観ます。芝居の後、絵島らは生島新五郎達を茶屋に招いて宴席を設けましたが、そのために大奥の門限に遅れてしまったのです。
絵島一行の大奥入口での「通せ、通さぬ」の騒ぎは江戸城内に知れ渡ることとなり、それを幕府が問題視し、評定所で審議されることとなりました。
しかし評定所の審議では門限に遅れたことよりも、何故か絵島と生島新五郎との密会が疑われたのです。生島新五郎は石抱えの拷問を受け、絵島はうつつ責め(白状するまで絶対に眠らせない)という拷問を受けました。生島新五郎はついに密会した旨を自白してしまいます。
