最後の浮世絵師”血みまれ月岡芳年”は大奥と歌舞伎界の大事件「絵島生島事件」をこう斬った! (7/9ページ)
絵島生島事件のきっかけとなった酒宴の席に二代目市川團十郎は同席しませんでした。しかし市川團十郎の持ち物の中に「杏葉牡丹」の紋が入った小袖があったことで、團十郎にも嫌疑がかかります。なぜなら牡丹の紋というのは、菊紋、桐紋、葵紋に次いで高貴な人物が使う家紋だったからです。
結局、二代目市川團十郎は罪に問われることはありませんでした。その理由として2つの説があります。
一つは評定所の役人が機転を利かせて、杏葉牡丹の紋は市川團十郎の替紋だと認めて問題無しという処分を下したというもの。
もう一つは絵島が取り調べの際に「何の故か、團十郎は私の贈り物を受け取らなかった」と言い張ったため、お咎め無しと決まったというものです。
真実の採決はどちらの理由で決まったのか、今となっては知る由もありませんが「助六」上演されるときには、現在でも「助六」の着物には「杏葉牡丹」の紋が入っているのです。
助六は花道で二度お辞儀をします。
一度目は〽ゆかりの人の御贔屓の…で江島に対する感謝の気持ちをあらわし、
二回目はご見物くださるお客様への御礼です。(『十二代目團十郎著『新版 歌舞伎十八番』より引用)
二代目市川團十郎は絵島とのことがこのままエスカレートすると不味いと思って身を引いたという話もあります。
また驚いたことに江島が本当に付き合っていたのは二代目團十郎であって、生島は犠牲になったという説を、歌舞伎座のイヤホンガイドでお馴染みの小山観翁氏が説いているのです。