城が欲しくば力で奪え!戦国時代、徳川家康と死闘を繰り広げた女城主・お田鶴の方【下】 (1/6ページ)

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城が欲しくば力で奪え!戦国時代、徳川家康と死闘を繰り広げた女城主・お田鶴の方【下】

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城が欲しくば力で奪え!戦国時代、徳川家康と死闘を繰り広げた女城主・お田鶴の方【中】

戦国時代、遠州曳馬(ひくま。現:静岡県浜松市)城主の飯尾豊前守善四郎連龍(いいお ぶぜんのかみ ぜんしろう つらたつ)の後室として嫁いだお田鶴(たづ)の方

まだ10歳前後の幼さ妻で、前室(故人)の忘れ形見・辰之助(たつのすけ。お田鶴の方とほぼ同年代)と三人で、ぎこちなくも幸せな家庭生活を送っていたところ、永禄三1560年「桶狭間の戦い」で主君・今川義元(いまがわ よしもと)が討死。

今川家を継いだ嫡男・今川氏真(うじざね)には乱世を生き抜く器量が見込めないため、連龍は義元を討った織田信長(おだ のぶなが)への内通を決断します。

それがバレたのか、氏真は二度にわたって曳馬城へ侵攻

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