城が欲しくば力で奪え!戦国時代、徳川家康と死闘を繰り広げた女城主・お田鶴の方【下】 (4/6ページ)
妾は女子なれども武夫(もののふ)が家に生(はべ)りし上は、飯尾の家名に賭けておめおめ城を開くことなりませぬ、と」
城が欲しくば力で奪え。それでこそ武士であろう……およそ18歳のうら若き女性が発するセリフとは思えませんが、戦国乱世に生きる武士としての覚悟を、人一倍備えていたのでしょう。
しかし、太郎左衛門の報告を受けた家康は、お田鶴の方の悲壮な覚悟を冷笑し、また哀れんだのでした。
「若い。若すぎるのぅ……その純粋さゆえに死を急ぎ、家臣や領民の命を損なうとは……」
とは言え、ここで引き下がる訳にもいかない家康は12月24日、酒井左衛門尉忠次(さかい さゑもんのじょう ただつぐ)と石川伯耆守数正(いしかわ ほうきのかみ かずまさ)を先鋒に曳馬城を攻め立てます。
「降りたい者は降るがいい!いっときの命を惜しまず、遠州武士の矜持をまっとうせん者のみ、妾に続け!」
お田鶴の方は鎧に身を固めて薙刀を奮い、最前線で徹底抗戦。