平安京は犯罪都市だった?平安時代の強盗たちの犯行記録から見えてくる人々の姿 (1/8ページ)

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平安京は犯罪都市だった?平安時代の強盗たちの犯行記録から見えてくる人々の姿

古来「職人気(しょくにんっけ。創作意欲)と泥棒気(どろぼうっけ)のない者はいない」と言われるように、いけないと分かっていても他人のモノを盗んでしまう難儀な人物が、残念ながら社会の中で一定数はいるものです。

「野郎ども、ずらかるぞ!」「へへっ……大漁々々!」脱出する強盗たち(イメージ)。

とうぜん平安時代にも泥棒や強盗は横行していたのですが、彼らがどんなモノを盗んでいたのか、また被害額(犯人にとっての稼ぎ)はどれくらいのものだったのか、実に興味深いところです。

そこで今回は、当時の記録から平安時代の犯罪事情について紹介したいと思います。

平安京を騒がせた、10人の犯行データ

時は平安時代の長徳2年(996年)12月17日、京都洛中・左京の獄舎にこんな囚人たちがいたそうです(これで全員という訳ではなく、この日に判決が出た者とのこと)。

検非違使より判決を受ける罪人たち(イメージ)。

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