大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックス!承久の乱はなぜ起きたのか? (2/8ページ)

Japaaan

源氏嫡流の断絶、朝廷との対立激化

時は鎌倉時代の建保7年(1219年)1月27日、幕府の第3代将軍・源実朝(みなもとの さねとも)が暗殺されると、父・源頼朝(よりとも)公より続いた源氏の血統が絶えてしまいました。

暗殺された源実朝。月岡芳年「美談武者八景 鶴岡の暮雪」より。

武家の棟梁として御家人たちを束ねていた将軍がいなくなってしまっては、鎌倉幕府の正当性がなくなってしまいます。

困った義時と政子は、朝廷に対して後鳥羽上皇の皇子・雅成親王(まさなりしんのう)を将軍にお迎えしたいと打診します。

「源氏の嫡流(※あくまでも自称)が絶えてしまった以上、その『源(みなもと)』である皇族から将軍をお迎えするより、鎌倉の貴種(正統)性を保つ手立てはあるまい……」

後鳥羽上皇と和歌を通じて仲良しだった実朝が、生前から「親王殿下を養子に迎えさせていただきたい」という話を進めていたため、上手くいくと思ったのですが……。

「……今は事情が違う。

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