大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックス!承久の乱はなぜ起きたのか? (1/8ページ)
令和4年(2022年)の放送予定が発表されるや、三谷幸喜の脚本や豪華なキャスト陣が早くも話題を呼んでいる大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。
ご存じ鎌倉幕府の執権・北条義時(ほうじょう よしとき)が歩んだ波乱の生涯を描いたものですが、そのクライマックスとなる(であろう)承久の乱(承久3・1221年)は、歴史の授業でご記憶のことかと思います。
文武に秀で、武士たち≒幕府を制する野心に満ちた後鳥羽上皇。Wikipediaより。
「尼将軍・北条政子(まさこ。源頼朝公の未亡人で、義時の姉)の演説に奮い立った御家人たちが、鎌倉幕府を潰そうとした後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)を返り討ちにしたんでしょ?」
ざっくり言えばその通りなのですが、なぜ後鳥羽上皇は鎌倉幕府を討とうとしたのでしょうか。そして、政子と義時はどうして畏れ多くも官軍を迎え撃つ決断に至ったのでしょうか。
今回はその辺りを紹介したいと思います。