大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックス!承久の乱はなぜ起きたのか? (3/8ページ)
朝廷に礼を尽くした実朝が後見人となる予定だったからこそ乗り気だったが、(何かと朝廷に楯突く)北条一族に我が皇子を預けるなど、わざわざ賊徒に人質を差し出すようなもの……断じてならぬ!」
このままだと、本当に鎌倉幕府は求心力を失って御家人たちに見放され、せっかくここまで築き上げた「武士の世」が水泡に帰してしまう……何とか鎌倉殿に相応しい者はいないか探し回ります。
「「いたー!」」
見つかったのは、頼朝公の実妹・坊門姫(ぼうもんひめ)の孫=姪孫(大甥)に当たる三寅(みとら。後に藤原頼経)。当時2歳という幼子ですが、彼の存在は鎌倉にとってまさに天恵でした。
※参考:それ以降の鎌倉将軍たち。
忘れないで!実は9代目まで続いていた鎌倉幕府の将軍たちを一挙に紹介!さっそく鎌倉に迎えた三寅を、補佐する名目で政治の実権を握った義時と政子。これで実朝時代と同じように戻るかと思ったら、そうは後鳥羽上皇が卸しません。
